関ヶ原 古戦場巡り。いざ!笹尾山!甲冑ボランティア最高です!
戦国時代に興味がない人でも、必ず知ってますよね?
そう!関ヶ原の戦い!
我が家には戦国時代が大好きな息子がいるんです。これは行くしかないでしょ?関ヶ原古戦場へ!
戦国最大の合戦「関ヶ原の戦い」を肌で感じる散策。そして笹尾山で会った甲冑ボランティアの方々。その散策記録を紹介します。
交通アクセス
まずは関ケ原駅前観光交流館に向かい、ここで車を駐車して笹尾山を目指す策です。
交流館の駐車スペースは駅前側に数台分ありますが、反対側にも6台ほどあります。
住所:
TEL:0584-43-1100
営業時間:平日 9:00〜17:00
休館日:4月〜10月 無休
11月〜3月 毎週火曜日
祝祭日の翌日、年末年始(12/29〜1/3)
駐車場:8台
MAP
関ケ原駅前観光交流館とは
JR関ケ原駅前にあり、関ヶ原の観光情報を発信する為に開館されました(愛称:いざ!関ケ原) 古戦場巡りの拠点におすすめです。
おすすめ理由
無料パンフレットが貰える
交流館の入口入ってすぐの所に無料パンフレットが置いてあります。貰っておきましょう。
パンフレットには周辺の観光スポットの地図とか・・・
モデルコースが紹介されいます。これを見ながら笹尾山を目指します。
おみやげショップがある
色々売ってますが買うのは帰りにしましょう。
17:00までに戻れない場合は事前に買ってもいいですが
関ヶ原民俗資料館にもおみやげショップがあります。
そちらで買ってもいいかも。
休憩スペース・トイレがある
作戦会議に使用できる休憩スペースがあります。
出発する前にトイレはすませておきましょう。
コインロッカーがある
※利用は交流館の営業時間内に限ります。ご注意ください。
電車移動の人だとここで不要な荷物を預けると良いと思います。車の人も車内に置いとけない物があれば預けましょう。コインロッカーはエアコンが効いた交流館内にあるので温度を気にする荷物でも安心です。
【料金】
小型:100円/1日 (10口)
中型:200円/1日 (12口)
大型:300円/1日 (8口)
レンタルサイクルがある
※利用は交流館の営業時間内に限ります。ご注意ください。
電動アシスト付自転車が借りられます。
貸出票に必要事項(住所・名前・電話番号)を記入して、身分証(免許証・学生証・パスポート・保険証)を提示すればOK!いろんなスポットを回りたい人は自転車の方がおすすめ。
【料金】
1,000円 / 半日(4時間)
2,000円 / 1日
予約もできます。リンク貼っときます。
いざ、出陣!
あまり時間がなかったので決戦コースをベースに観光する事に。徒歩で1時間ほどのコースです。目的地は笹尾山!まずは松平忠吉・井伊直政 陣跡、東首塚を目指します。
松平忠吉・井伊直政 陣跡
関ケ原駅のすぐ近く、「東首塚」境内の東隅に、「松平忠吉・井伊直政の陣跡」があります。以前は首塚より東へ200mほど行った場所にあったとされていますが、大正時代に現在地に移転されました。関ケ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一念でした。東軍先鋒は福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に、福島隊の先頭隊長・可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となりました。その後、直政と忠吉は島津隊を追撃し、大きな戦果を挙げますが、2人とも傷を負ってしまいます。特に、直政の傷は深く、その傷がもとで2年後にこの世を去ってしまいます。
天下分け目の戦い、その開戦のキッカケとなった陣跡だと考えると、当時の様子を色々と想像してしまいます。
東首塚
JR関ケ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に広葉樹の森がありその中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれているのです。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。この首塚に埋められている戦死者の数は定かではありません。しかし、西軍・東軍、計15万人の兵がぶつかったといわれる関ケ原の戦いの規模を考えると非常に多くの戦死者が眠っているものと考えられます。
首実検を終えた死者を埋葬したのがこの首塚です。
首実検ってさらっと書いてありますが、よくよく考えると身震いしちゃいますよね。戦で打ち取った敵の生首を並べて誰の首なのか?大将が身元を見定めて戦の功績を判断するんですから。
打ち取ったのは本人なのか?ちゃんと経緯などを説明させていたそうです。場合によっては捕虜にした敵将に確認させる事もあったそうな。
現代の成果発表会みたいな行事ですか・・・成果をしっかりアピールしてボーナスアップ。それが首実検!恐ろしい・・・。
因みに打ち取った生首は綺麗に洗って首化粧を施すそうです。その仕事は女性の役目。いやいや、収穫した野菜を洗うのと訳が違うでしょ!現代の感覚では考えられない事が多すぎるのが戦国の世というものでしょうか・・・。
ここからちょっと進むと関ケ原町の看板がありました。なんかカッコいい。関ヶ原古戦場に来た事を実感します。
そのまま進軍します。
関ヶ原民俗資料館
常設展では、関ケ原合戦図屏風をはじめ、関ケ原の戦いで使われた武具(甲冑、大筒・火縄銃、ほら貝、陣跡からの出土品)等を公開しています。また、徳川家康、石田三成の所用兜(複製)、主な参戦武将の肖像写真、プロフィール等のパネルも人目を引いています。
なかでも、合戦時の東西両軍の陣形と戦の流れを電光で示した大型ジオラマは、CDによる臨場感あふれる解説(英語、韓国語対応)付きで必見です。
ミュージアムショップでは、武将家紋入りぐい飲み・湯飲み・竹携帯ストラップ・超ミニ軍旗・家紋写し金蒔絵シール等々、参戦武将にちなんだオリジナルグッズがずらりと並んでいます。また、関ケ原合戦に関する最新版歴史雑誌も豊富です。
どなたにも合戦学習の拠点として最適です。レンタサイクルの貸し出しも行っているため、当館で合戦概要を学んだ上で、古戦場を巡るのも一興です。
開館時間:4月から10月 9:00~17:00(入館受付時間は16:30分まで)
11月から3月 9:00~16:30(入館受付時間は15:50分まで)
休館日:毎週月曜日、12月29日から1月3日
入場料:大人350円
小人200円
無料駐車場もあります。こちらを拠点にして観光しても良さそう。
道を挟んで隣にある関ヶ原役場ではベビーカーの貸し出しもあり。
館内は撮影禁止です。展示品は・・・見なくても良いかな。って位の感じでした。
参考までに、こんな感じです。
お土産はここで購入しました。販売しているお土産は、関ケ原駅前観光交流館と殆ど同じだったと思います。
徳川家康 最後陣跡
JR関ケ原駅からすぐそば、今は陣場野公園と呼ばれる緑豊かな場所に「徳川家康最後陣跡」はあります。関ケ原合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて500~600m)へ移動させました。ここからの伝令により松尾山の小早川秀秋に発砲を命じ、見事裏切りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたのです。合戦後この場にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されました。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。土壇中央には「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。
小早川秀秋から始まった有名な西軍の裏切り劇。そのキッカケはここで起こったんですね。裏切り者のイメージが強すぎる小早川秀秋ですが、生い立ちや、立場などを考えると色々と事情があった訳で・・・。興味がある人は調べてみると面白いと思います。
首実検はここで行われたんです。ブルブル・・・。次、行こう・・・。
田中吉政 陣跡
「田中吉政陣跡」の碑は「関ケ原町歴史民俗資料館」から50mほど南、「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようです。田中隊はここから石田隊に向かって兵を進め、笹尾山麓より討って出る先手の兵と激突しました。また、石田隊の右翼・蒲生郷舎と戦ったのではないかという説もあります。
田中吉政は、東軍武将ではありますが、石田三成とは屋敷が近かったこともあり、親交があったそうです。関ケ原の戦いで敗走した三成を捕らえたのは、皮肉にも、この田中吉政。しかし吉政は昔の関係を重んじて、捕らえた三成のことを厚遇したそうです。そして三成も、「自分を捕らえたのが吉政でよかった」といった言葉を残したとされています。
首実検のインパクトが強すぎて・・・次、行こう・・・。
速足で決戦地を目指します。 交番が左折ポイントの目印。
決戦地
すぐ近くに石田三成が陣を構えていた笹尾山が見えます。
小早川秀秋をはじめとする裏切りによって突如劣勢になった西軍。石田三成の首を狙って押し寄せる東軍との激戦が繰り広げられた場所がこの決戦地です。今は自然豊かな地ですが、当時は物凄い景色だった事でしょう。大勢の戦死者が出た地だという事は容易に想像できます。
さあ、島左近 陣跡に向かいます。
島左近 陣跡
笹尾山・石田三成 陣跡の麓に、有名な島左近の陣跡があります。
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と謳われた島左近です。石田三成隊の先鋒として出陣。黒田隊、田中隊と一線交えますが、黒田隊の鉄砲隊に横合いから銃撃され負傷してしまいす。
一旦は陣へ戻った島左近ですが、その後 小早川秀秋の裏切で西軍が劣勢になると再び自ら戦線に突撃!死を恐れずに戦う姿は狂気じみており「鬼左近」と語り継がれる様になりました。
しかし、どの様な最期をとげたのかはハッキリしておらず、京都の立本寺逃れて僧として生き延びたという説もあります。
陣跡には馬房柵が再現されていました。
駐車場もあるので車で寄ってもOK。
あれっ!!
島左近現る??
ちょっと!島左近さんですよね??
微動だにしない・・・じっと決戦地を睨む姿は当時の様子を再現したかの様です。甲冑ボランティアの方です。
チャンス!まさか武将ポートレートが撮れるなんて思ってなかった!
手持ちの武器は 5D MarkⅢ+EF135mm F2 L USM。
しめた!僕の機材の中で、このロケーションに最も適した組み合わせ。
島左近に悟られないように撮影ポイントに移動。気分は黒田隊の鉄砲隊です。
今だ!!カシャ!
カッコいい~!! 最高!
満足して笹尾山・石田三成 陣跡に向かいます。
笹尾山・石田三成 陣跡
決戦地北西に位置する小さな山が笹尾山で、「石田三成陣跡」の碑があります。合戦時に、敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来・馬防柵が復元されているこの場所。合戦当時、“三成に過ぎたるもの”といわれた、島左近を竹矢来の前に配置し山頂で指揮をとったようです。関ケ原は交通の要所といわれているだけに、南西にある北国街道が軍事上重要なポイントになりました。そんな背景もあり三成は島左近と共にここ笹尾山に布陣したと考えられます。この笹尾山頂上から古戦場全域を見渡せば、当時にタイムスリップし、豊臣秀吉への義を貫き通した三成に、心惹かれずにはいられません。
ちょっとした山道を登ると到着しました。
こちらにも甲冑ボランティアの方がいました。関ヶ原の戦いがどの様に繰り広げられていたのか?説明して頂きました。小早川秀秋が陣取った松尾山もここから見えます。
展望台もあります。一望すると戦いの壮大さが実感できます。
展望台の奥には石田三成 陣地の石碑があります。
これで目的の地は全て散策しました。いや~楽しかった!さあ帰ろう。
下山すると観光客が島左近に耳打ちした後、槍で刺されていました。その様子を連れの観光客がパチリ。島左近に刺されたい方はお願いしてみて下さい。
僕は撮るの専門なので刺されませんが・・・
関ヶ原 古戦場を散策した感想
徒歩で1時間ほどのコースでしたが色々見てると時間がかかりますね。関ケ原駅前観光交流館に戻るまで3時間ほどかかりました(ゆっくりし過ぎか?)
今回散策したのは ほんの一部。全ての跡地を回るには時間がかかります。一日で全て回ろうとすると事前に移動方法や回る順番など、しっかり策を立てて臨んだ方が良さそうでした。
甲冑ボランティアの方は休日に出陣されている事が多いそうです。
戦国時代に興味がある方は一度は訪れたい地、関ケ原 古戦場!ぜひ行ってみては如何でしょうか?当時の様子を肌で感じる事が出来ると思いますよ!